日の出はいつも同じ位置?
理科の授業で「天体」に入った。私は、毎年、授業のはじめにどの程度天体に関して基礎知識があるかを問う。地球の自転、公転、惑星の配列、日の出の方角と位置、更に応用として地球の自転や公転が止まったら地球はどうなるか。
自転、公転についてはほぼ全員、惑星の配列は半分程度が知っていた。自転や公転が止まったらどうなるかは数名の生徒が答えた。私の過去の雑談を覚えていたようだ。
日の出の方角を「西」と答える生徒が毎年必ずいる。もちろん「東」が正解であるが、更に質問を続け「日の出の位置は同じか、変わるか。」に対し、変わると答えた生徒はごく少数であった。勿論、これらはこれから学習するので知らなくてもよい事であるが、この質問をする度にいつも自分の小学生時代を思い出す。
小学5、6年の頃、1年を通して日の出の観察を行った(実際にはさせられたのであるが…)。毎月1度早起きして太陽が昇る位置をスケッチするのである。観察前日になると、先生が「明日は○○時に起きて観察をするように。」と教えてくれた。目覚ましをセットしてやっと起きるが、特に、夏至近くは大変だった記憶がある。
この様な学習体験は今の生徒には少ない様な気がする。教室の中で得る知識も大切であるが、実体験から得たものは一生忘れないし、その知識の周りには他の様々な「感性」が付随する。日の出の位置は勿論、日の出の時刻の変化や次の予測、体感温の変化、山肌の紅葉や冠雪、ついでに見た一番星、そして更に少しオーバーかもしれないが自分には気づいていない潜在的な何かが知識と共に内胞されたような気がする。
生徒には様々な時に、いろいろな形で体感学習を勧めている。今日は授業の終わりに北極星の見つけ方を教えた。さて、何人の生徒が天を見上げただろうか。